映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』テーマは“親子の絆”?大ヒットシリーズ第2弾を時系列で徹底考察【ネタバレ解説】

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を時系列で徹底解説!【ネタバレあり】

世界的大ヒットを記録した『ジュラシック・パーク』(1993)から4年。バイオテクノロジーで蘇った恐竜たちが、再び人間を襲うシリーズ第2弾が『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』だ。

ティラノサウルスがアメリカ本土に上陸し、市街地で大暴れ!…と言う訳で今回は、みんな大好き『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』についてネタバレ解説していきましょう。

『ジュラシック・パーク』の解説と併せてどうぞ!

映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』あらすじ

ジュラシック・パークの悲劇から4年。事件に居合わせていた数学者のイアン(ジェフ・ゴールドブラム)は、インジェン社の会長ハモンド(リチャード・アッテンボロー)に呼び出され、驚愕の事実を知らされる。実はジュラシック・パークとは別に、繁殖・飼育を目的としたサイトBが存在し、そこで生き延びた恐竜たちが独自の生態系をつくっているというのだ。

しかもそのサイトBには、イアンの恋人で古生物学者サラ(ジュリアン・ムーア)がたった一人で調査に向かったのだという。マルコムはサラを救出するために、調査隊と共にサイトBへと向かう……。

※以下、映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』のネタバレを含みます

前作に引き続き、再びメガホンを握ることになったスピルバーグ

ある意味で、『ジュラシック・パーク』の続編が作られることは既定路線だったのかもしれない。マイケル・クライトンによる原作が発表されてから、ファンは新しい恐竜の物語を心待ちにしていた。

1995年に、クライトンが『ロスト・ワールド』と題した第二弾を発表。もちろんこのタイトルは、アーサー・コナン・ドイルの『The Lost World(失われた世界)』にちなんだもの。同時に続編映画プロジェクトも立ち上がり、脚本家のデヴィッド・コープを中心にオリジナルのストーリーが作り上げられていった。

基本的に、続編の監督は引き受けないスピルバーグ。『ロスト・ワールド』の演出に名乗りをあげたのは、ジョー・ジョンストンだった。特殊効果スタッフとしてキャリアをスタートし、その後『ミクロキッズ』(1989)で映画監督デビューを果たした人物である。だが撮影直前になって、当時ポストプロダクション中だった『ジュマンジ 』(1995)に問題が発生してしまい、泣く泣く降板することに。

スピルバーグは3作目の監督の座をジョンストンに約束し、自ら『ロスト・ワールド』を演出することを決める。そして約束どおり、『ジュラシック・パークIII』(2001)の監督はジョー・ジョンストンが担当することになった。

ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を時系列で徹底ネタバレ解説

では、ここからは時系列で『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を解説していこう。DVDの音声解説のようなノリで読んでいただければと。

オープニング〜イスラ・ソルナ島(0:00:00〜)

いきなり、小柄な恐竜コンプソグナトゥス・トリアシクスが登場。いたいけな少女に襲いかかる。前作『ジュラシック・パーク』ではなかなか恐竜を見せないジラシ作戦をとっていたが、今回は初っ端から大盤振る舞いだ。

この展開は、あるファンレターがきっかけだった。「『ジュラシック・パーク』で恐竜が登場するまでに、時間がかかりすぎ!」という投書があり、脚本家のデヴィッド・コープはこのファンレターをパソコンの画面の横に貼って、シナリオを執筆したのだという。

あとどうでもいいことですが、少女の叫び声を聞いてダッシュするお母さん、妙にクセのある走り方だよなあ。演じているのはシド・ストリットマターという女優さんだが、このインパクトのある走り方がスピルバーグの目に止まって、お母さん役をゲットしたのかも。いや知らんけど。

マルコム、ハモンド邸へ(0:04:14〜)

ところ変わってニューヨークの地下鉄。「お母さんの絶叫」と「地下鉄の轟音」という音繋ぎでモンタージュさせているのは、スピルバーグにしては珍しい。

イアンがハモンド邸に到着し、レックス(アリアナ・リチャーズ)とティム(ジョゼフ・マゼロ)と久々の再会。そして、ハモンドに代わってインジェン社の社長となったルドロー(アーリス・ハワード)が初登場する。ものの数秒で「コイツ、嫌な奴!」と思わせてくれるのだから、素晴らしい演技と言えるだろう。ちなみにこの役、最初はゲイリー・オールドマンにオファーしていたが、スケジュールの都合で断られたんだとか。

ハモンド(リチャード・アッテンボロー)とも再会し、恐竜を孵化させる目的で作られたサイトBの存在を知らされる。「成長した恐竜を、ジュラシック・パークがあるイスラ・ヌブラル島に輸送する」という説明だけど、無駄に運搬のコストがかかるなーと思うのは筆者だけ?

イスラ・ソルナ島への出発(0:15:05〜)

調査隊メンバーのニック(ヴィンス・ヴォーン)、エディ(リチャード・シフ)、そしてマルコムの娘ケリー(ヴァネッサ・リー・チェスター)が登場(原作ではケリーとアービーという2人の子供が登場するが、映画ではケリーという1人のキャラクターにまとめられている)。父娘の会話を抜粋してみよう。

「ケリー、お前ともいろいろあったが、最近はよくなっただろ?」
「もっと叱ってほしいわ。親なのに甘い顔ばかり」

サラー救出のために、ケリーを別の女性の家に預けようとするイアン。彼は父親としては失格で、娘とロクなコミュニケーションを図ってこなかったことが、次第に分かってくる。『ジュラシック・パーク』が倫理なきテクノロジーへの警鐘を鳴らした作品とするなら、実は『ロスト・ワールド』は親子の絆を描いた作品。そのあたりは後述するとしよう。

画面変わって、イスラ・ソルナ島に向かうイアン一行。流れる音楽は、『ジュラシック・パーク』のオリジナル・スコアとは異なり、『キング・コング』(1933)へのオマージュが捧げられた独自のメロディー。太古の世界へと誘うような、作曲家ジョン・ウィリアムズの天才的手腕が唸る。

上陸、ステゴサウルスとの遭遇(0:21:43〜)

調査隊はイスラ・ソルナ島に上陸し、イアンの“今カノ”サラ・ハーディングをあっさり発見。演じるのは、『エデンより彼方に』(2002)でヴェネツィア国際映画祭女優賞、『めぐりあう時間たち』(2002)でベルリン国際映画祭女優賞、そして『アリスのままで』(2014)でアカデミー主演女優賞を受賞した名優ジュリアン・ムーア。この役には、ジュリア・ロバーツが候補に挙がっていたこともあったそうな。

そして、前作には登場しなかったステゴサウルスが登場。『ジュラシック・パーク』公開後、スピルバーグの元に「次回作にはステゴサウルスを出してください!」という手紙が殺到したことから、『ロスト・ワールド』製作時には必ずこの恐竜を登場させることを決めていたという。

やがて、カメラのフィルムが切れた音でステゴサウルスが興奮し、サラがピンチに陥る迫真の場面へ。イアンはエディに「(銃を)撃て!」と叫ぶが、エディは「子供を守ってるだけだ」と返す。人間(マルコム)よりも恐竜の方が子供を大事にしている、ということが暗に語られている訳だ。その後、サラはイアンにこんなことを語りかける。

私は定説を覆したいの。恐竜は凶暴な爬虫類だと思われてる。親が子供を育てたりはしないと。バーク博士はT-レックスが子を捨てるというけど反証してやるわ

「決して恐竜は子供を放棄しない」という考え方は、古生物学者ジャック・ホーナーの研究から着想を得たもの。彼は、『ジュラシック・パーク』シリーズ全ての作品でコンサルタントを務めている。

親子のひととき(0:29:42〜)

調査隊にケリーが紛れ込んでいたことで、イアンは予期しない形で娘と数日間を過ごすことに。「決して子供を放棄しない」恐竜と、「子供を放棄した(であろう)」イアンとの対比が鮮明となる。

恐竜ハンター団による捕獲作戦(0:33:32〜)

テンボ(ピート・ポスルスウェイト)率いる恐竜ハンター団が登場。ジュラシック・パークの再建を目論み、次々と恐竜たちを狩っては捕獲していく。

この描写は、明らかに『ハタリ!』(1962)からの影響だろう。ジョン・ウェイン演じる主人公が、ジープでアフリカの動物たちを追いかけるシーンを踏襲している。

恐竜が捕獲される時に、後ろからの太陽に照らされて逆光になるショットがあるが、コントラストの強いライティングは撮影監督ヤヌス・カミンスキーの真骨頂。もともとスピルバーグは『ジュラシック・パーク』を担当したディーン・カンディの続投を考えていたが、スケジュールが合わず『シンドラーのリスト』(1993)でタッグを組んだカミンスキーを抜擢。以降、彼は撮影監督の常連としてスピルバーグ映画のビジュアル面を支えることになる。

捕獲された恐竜の救出(0:42:11〜)

恐竜ハンター団によって捕獲された恐竜たちを救おうと、イアンたちが檻から解放。暴れまわる恐竜たちによって、あっという間にキャンプは壊滅状態に。

この後人間たちが次々と犠牲になるのは、明らかにこの救出作戦のせいなのだが、不思議なくらいイアンたちは良心の呵責を感じていない。『ロスト・ワールド』では明らかに、主人公たちは人間よりも恐竜にシンパシーを抱いている。「決して子供を放棄しない」恐竜へのリスペクト、と言ってもいいかもしれないが。

ティラノサウルスの赤ん坊の手術(0:47:23〜)

イアンの制止を振り切って、足が折れたティラノサウルスの手術を試みるサラとニック。ここでも、イアンは子供(=ティラノサウルスの赤ん坊)には無関心であることが示される。

それにしてもサラって、人の忠告を全然聞かないよね。

ティラノサウルスの襲撃〜エディの死(0:53:42〜)

案の定、赤ん坊をトレーラーに連れてきたことで親のティラノサウルスに襲撃される。しかも、お父さんT-レックス&お母さんT-レックスの二匹!!ここからは怒涛のパニック描写が続く。

ナンダカンダあって、残念ながらエディがティラノサウルスに食べられて死亡。いい奴だったのに。

恐竜ハンター団との合流〜ディーターの死(1:06:57〜)

恐竜ハンター団からはぐれたディーター(ピーター・ストーメア)が、コンプソグナトゥスの群れに襲われて死亡。悲惨極まりない死に方だが、思えば演じるピーター・ストーメアは、その前に出演していた『ファーゴ』(1996)でもひどい末路を遂げていた。もはやこれは、あらかじめ決まっていた運命なのかも。

キャンプを襲うティラノサウルス(1:19:21〜)

真夜中にティラノサウルスが襲いかかり、キャンプは壊滅状態に。このときイアンが「伏せてろ、動くな!」と忠告するが、これは前作でグラント博士が「動くな。奴には動くものしか見えない」と語ったアドバイスを踏襲したものだろう。ちゃんと覚えていたんですね。

ヴェロキラプトルの襲撃〜サイトBからの脱出(1:26:20〜)

「草むらに入るな!草むらは危険だ!」と言う忠告を無視して、草むらに逃げ込む恐竜ハンター団の一行。案の定、次々とヴェロキラプトルの餌食に。御愁傷様です。このときヴェロキラプトルの姿をはっきりと映し出さず、何者かが草むらをものすごいスピードで移動している様子を遠景で捉えるセンスが、いかにもスピルバーグ的。「あえて映さない」、「はっきりと映し出す」のメリハリが効いている。

ヴェロキラプトルの群れは、主人公たちにも襲いかかる。散り散りになって逃げまどうイアン一行。すると、それまで恐怖におののいていたケリーが、突然意を決した表情を浮かべて体操部で鍛えた鉄棒の技を繰り出し、ラプトルをやっつける。はっきり言って荒唐無稽の極みだが、それを含めてスピルバーグ。彼は律儀にリアリティ・ラインを守るよりも、面白いショットの創造を優先するのだ。

ティラノサウルス、サンディエゴ襲来(1:41:07〜)

真のクライマックスは、ここから。もともとティラノサウルスが市街地で暴れまわるというアイデアは『ジュラシック・パークIII』で使われるはずだった。しかし3作目を監督することはないと確信していたスピルバーグは、「だったら自分の手で撮ってやる!」と言う決意で、「ティラノサウルス、サンディエゴ襲来」を演出することになる。

サンディエゴ港の桟橋に「No animals or vegetables beyond this point(ここから先は動物も野菜も禁止)」という看板が掲げられているのは、いかにもスピルバーグらしいギャグ。前作『ジュラシック・パーク』で、「When the Dinosaurs Ruled The Earth(恐竜が地球を支配したとき)」と書かれた横断幕をバックに、ティラノサウルスが最後の咆哮をあげていたのと同趣である。

市街地で暴れるティラノサウルス〜エンディング(1:48:42〜)

いよいよ市街地に入って、暴れまくるティラノサウルス。ここで注意して欲しいのが、恐竜が人間を襲う阿鼻叫喚シーンでありながらも、どこかユーモラスなタッチで撮られていること。

絶叫しながら車を後退する女性ドライバー、ティラノサウルスに併走されるも全然スピードを出せない市営バス。レンタルビデオ屋に逃げようとした男性が、ティラノサウルスに頭から飲み込まれてしまうシーンもあるが(演じているのは脚本家のデヴィッド・コープ)、どこかおおらかな雰囲気に包まれている。

おそらくその理由は、ティラノサウルスが“子供をさらわれた被害者”として描かれているからだろう。本作のテーマは「親子の絆」。そのためには、ティラノサウルスを絶対悪にしてはならない。本作において糾弾されるべき存在なのは、親子の絆を裂こうとする者(=ルドロー)なのだ。

もう一つ大切なことは、イアンがティラノサウルスの子供を救出して、事態の打開を図ろうとすることだ。終始子供から目を背けてきた彼が、最後になって命がけで(恐竜とはいえ)子供を助けようとする。おそらくこの瞬間、イアンは本当の意味で父親になったのだ。

「親子の絆」というテーマが、最も分かりやすく、最もストレートに表出された作品

ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』は、公開当時かなりの酷評を浴びてしまった。その年の最低映画を決めるラジー賞の最低脚本賞にノミネートされてしまうなど、確かにアラが多い作品なのは否めない。何せスピルバーグ自身が、この映画の製作中にだんだん嫌気がさしてきたことを告白しているくらいなのだ。

だが同時にこの作品は、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002)、『宇宙戦争』(2005)などで描かれてきた「親子の絆」というテーマが、最も分かりやすく、最もストレートに表出された作品でもある。

映画監督・黒沢清は、スピルバーグ映画ベストに本作を挙げている。いびつなバランスな作品ではありながらも、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』には、世界ナンバーワン・ヒットメイカーの作家性が色濃く刻印されている。

※2021年9月17日時点の情報です。

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