大冒険をしたあの夏休み…『菊次郎の夏』思い出スイカサラダ【映画を観ながら食べたいレシピ】

映画は人生のおいしいレシピ

さわのめぐみ

菊次郎の夏

1999年製作の映画『菊次郎の夏』。

夏休みに母を捜すと決心した小学生の正男と、傍若無人な振る舞いをする近所のおじさん菊次郎。だんだんと打ち解けていく二人の冒険ともいえる夏休み。

笑いあり涙あり、空想と現実世界が交差する北野武監督が贈る夏休みにぴったりの作品です。

夏の思い出スイカサラダ

菊次郎の夏_レシピ

【材料】
小玉スイカ 1/2
赤玉ねぎ 1/2
ミニトマト 5個
きゅうり 1本
モッツァレラ 1個
スライスサラミ 100g
塩 少々
黒胡椒 少々
エクストラバージンオイル 大さじ1

【作り方】
1 小玉スイカを半分にして中を丸くくり抜きます。
2 赤玉ねぎときゅうりは1cm角に、ミニトマトは1/4カット、モッツァレラチーズは一口大カット、スライスサラミは千切りにします。
3 ボールに丸くくり抜いたスイカと、2の材料を混ぜ合わせ、塩胡椒、エクストラバージンオイルで味付けをして、最後にスイカの器の中に入れて完成です。

レシピの経緯

夏といえば「スイカ」とイメージされるように、作品の中にも登場するスイカを使いました。そのままでも美味しいのですが、一手間加えおもてなし料理にもおすすめです。

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    4.5
    ■めちゃくちゃよかった 今まで観てきた北野作品の中で1番好き 母親を探す少年・正男と、どうしようもない中年男・菊次郎のひと夏のロードムービー。 ■見始めて早々「ん?Summer!?」とびっくり。 この映画のテーマ曲だったの初めて知った。 ■今の年齢で観たからっていうのもデカいかもしれないが、久石譲の「Summer」、夏の景色、そこに懐かしさやエモさが乗っかって、とにかく満足度が高いです。 蓄光するキーホルダー懐かしすぎる。サービスエリアとかに今もう売ってないよね。 ■それから正男役の子、映画はこれっきりなのね。 あの走った姿のまま、あの夏にだけ存在して、そのままスクリーンから消えた。 そんな妙な儚さまで作品と重なって見えてしまいました。 ■ただ実はそのラストシーン、正男役の子に走らせる演技をさせると、どうしても芝居っぽくなってしまったらしい。 そこで北野武は「あそこの牛乳屋にアイスが売ってるから買ってこい」とお小遣いを渡した。 すると関口少年はアイス欲しさに全力疾走。その姿をこっそり撮影して映画に使ったという。 ■肩叩きのシーンでカットの切れ目で正男が笑ってるのとか、海辺で菊次郎に駆け寄って手を繋ぐシーンとか、良いシーン沢山ありました。 あと裸だるまさんおもろ過ぎる 井手らっきょで遊びすぎ いいシーン沢山あったけど1点、天狗ダンスシーンだけは長すぎて飽きた。
  • ジョイクギレンホール
    4.1
    久石譲の音楽と映像がマッチして日本の夏の懐かしさが出ててとてもよかった。
  • mt
    5
    いい映画作るな〜ほんとにマジで こんなん一生思い出に残る最高の夏休みじゃねーかバカヤロー summerが夏のサウンドトラックとして強すぎる、ノスタルジック極まりすぎて2時間弱お盆に戻ってた あとperfectdaysとおんなじ橋でてきた
  • ピアノ
    4.4
    Summerがかかれば井手らっきょも切なくなる 子役があざとくなくていい チャップリンのキッド思い出した
  • Hana0010
    2.8
    1999年製 北野武監督、カンヌ映画祭参加作 たしかに心温まる話だが、その大半が売れない芸能人が貧乏なりに頑張るみたいな、本筋とは違う要素で勝負している。 もちろん、それをおしゃれと評価することもできるし、そのシュールさこそがお笑いであると見ることもできるんだけれど・・・ そこまでいくと、もはや映画ではないのだ。 仮に北野武という人物を知らない世代が現れて「なんだこのやばいオッサンは」となったとき、この作品は破綻するというか、意味不明な流れでオッサン(天使(芸人))が集まって子供(ビートたけし)を楽しませてくれるだけの話になる。 これは持論だけれど、映画はたとえ詰め込めるメッセージの量に制限がかかろうともその映画内だけで完結しているべきだと考えてる。 だから、映画内にビートたけしという人物の自分語りが入ってしまうと、それはそれで価値があるが面白いかというとちょっと違うかな あと、ことあるごとに久石譲の名曲が流れるが、感動的にしようとして多用しすぎている。ちょっと久石譲に頼りすぎだよ。 追記 この映画をどうも素直に好きになれない理由を数日考えた。 この映画の菊次郎は明らかに北野武(ビートたけしではない)と同一人物として描かれている。そして、その悩みの根源は「普通にみんなと何も考えずに思い出作りしたいよ」という極めて庶民的、牧歌的なもの しかし、それを発信するために彼はビートたけしの力(TVの力)を使い芸人を呼び、映画製作体制を作り、予算を出させた。彼自身の年収は15億円とのことだが、それほど庶民とは大きくかけ離れているにも関わらず、「普通の人みたいに扱ってほしいよぅ」という願望は到底聞き入れられない それは嫉妬ではなく、彼のような存在が庶民側の領域に踏み込むことは庶民から最後の防衛線を奪うことそのものだからだ。侵略といってもいい。 つまりは、たとえ卑屈で意地汚い発想であろうとも、「あの人は違うから」は防衛策として機能している。それを積極的に侵害するようなやり口は業界の超大物のやることではない。いわば、精神的虐殺行為である。 だから、私はこの映画のことを考えるたびにどうしても認めたくない気持ちになる。年収15億というのは”セレブとしてカッコつける姿に対する報酬”であり、”セレブだから何をしてもかまわない。なぜなら力があるから”になってはいけないのだ。
菊次郎の夏
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