【ネタバレ】映画『怪物』結末はどうなる?“怪物”の正体とは?3つの視点を中心に徹底考察

わざわざ聖地で結婚式を挙げた映画ドラマオタク

古澤椋子

日本が誇るクリエイターがタッグを組んだ話題作『怪物』をネタバレ考察。徐々に浮かび上がる真実は、意外な結末へと向かっていく。

映画『万引き家族』で、第71回カンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドールに輝いた是枝裕和が監督を務め、数多くの人気作品の脚本を手掛ける脚本家・坂元裕二がタッグを組んだ映画、『怪物』。先日開催された第76回カンヌ国際映画祭では、脚本賞とクィア・パルム賞を受賞したことでさらに注目が高まっている。

本記事では、登場人物それぞれの視点から見えてくるタイトルの意味や、“怪物”の正体、結末について徹底考察していきます。

怪物』(2023)あらすじ

怪物

大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー・早織(安藤サクラ)、生徒思いの学校教師・保利(永山瑛太(瑛太))、そして無邪気な子供たち・湊(黒川想矢)と依里(柊木陽太)。それは、よくある子供同士のケンカに見えた。しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、大事になっていく。そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した……。

※以下、ネタバレを含みます。

それぞれの視点からの“怪物”

本作は、早織・保利・湊の視点を中心に、ある出来事から派生した事件の真相に迫っていく。物語をそれぞれの視点から繰り返し描く事で、徐々に真実が浮かび上がっていく構成だ。それぞれの視点では何が起きていたのか、何が“怪物”であったのか、解説していく。

早織の視点

クリーニング店で働きながら一人息子の湊を育てているが、最近どうも様子がおかしい。耳に怪我をして帰ってきた湊に原因を聞くと、担任の保利先生にやられたという。ほかにも、暴言を吐かれたり、殴られたり、給食を食べさせてもらえなかことがあったそうだ。早織は、学校まで話を聞きに向かうのであった。

保利を含め、校長や教頭も謝罪はするが全く心が感じられない。保利のたどたどしい謝罪が早織をさらに苛立たせる。ただ頭を下げているポーズだけの心ない謝罪の不気味さに、「わたしが話しているのは人間?」と投げかける早織。保利からは、湊が星川依里という児童をいじめていると告げられる。依里からその事実はないと聞いた早織は、保利を辞めさせるように動きだす。全てが解決したように見えたある嵐の朝、湊は姿を消した。

早織にとっての“怪物”は、事なかれ主義を貫き心のない謝罪を繰り返す学校の先生たちであった。学校の先生たちにどうにか暴力を認めさせ、心からの謝罪を望む早織は保利に「あんたの方が豚の脳なんじゃないの!?」と言い放つ。早織には子供を守ろうとするあまり、相手を“怪物”と決めつけようとする感情が生まれ始めていた。

保利の視点

保利は、今年から小学校に勤め始めた新任教師。子供たちと組体操の練習に励んだり、自分の子供のころの作文を紹介したりと、子供たちに馴染もうと努力をしていた。

ある日の教室で、湊が体操着を投げて暴れていた。そして依里が上履きを隠されたり、トイレに閉じ込められたりと、いじめられている様子を目撃する。保利は、湊が依里をいじめているのではないかと疑い始める。

ある日、湊の母親・早織が学校に乗り込んでくる。指摘されたのは、保利にとって身に覚えのないことばかり。学校側からは、場を納めるためにとりあえず認めて謝罪しろと指示される。ついには学校を辞めさせられ、家にマスコミが押し掛けてくるようになる。ある夜、未添削であった作文が目に止まる。なんとなく添削を始めた作文は依里のもので、そこには湊と依里の関係性を示すトリックがあった。全てに気づいた保利はいてもたってもいられず、嵐の中湊の家に向かう。

全てを保利のせいにして、不満をぶつけてくる湊の母親・早織、意見すら言わせてもらえず、ただ謝罪しろと言いつけてくる校長や教頭、そして、なぜか全てを保利のせいにする湊。その全てが、保利にとっては“怪物”だった。一方で、保利はシングルマザーをモンスターペアレントになりがちだと決めつける意見を鵜呑みにし、自分が見た一部分だけで湊がいじめをしていると決めつけている。見たいものを見て、信じたいものを信じる。週刊誌の誤植を指摘するのが趣味の保利。自分のなかに偏った正義感があることには気付いていなかった。

湊の視点

湊のクラスでは、一部の児童から依里への行き過ぎたいじりが行われていた。湊は自分へ飛び火することを恐れて、表立って依里を庇うことはできない。学校外では依里に優しく声をかける湊。自分の知らない事を教えてくれる依里と一緒にいるのが楽しかった。廃線した鉄道跡地を二人だけの秘密基地にし、宿題をしたり、怪物ゲームをして遊ぶようになる。だれにも邪魔されない二人だけの世界が、そこにはあった。

毎日のように秘密基地で過ごす二人。次第に湊は、依里が父親に虐待されている事に気付く。

依里は祖母の家で暮らすことが決まり、転校することを湊に告げる。依里の自宅に赴いた湊は、父親から虐待された直後の様子の依里をバスタブで発見する。二人は嵐の中、秘密基地へと向かった。

湊にとっての“怪物”をあえて言葉にするのであれば、自分自身である。早織と保利は、自分の正義感に反する相手を、“怪物”だと決めつけているが、湊と依里は、周りの固定観念に影響され、自分を“怪物”だと思いはじめていた。

湊と依里 二人の間にあるものとは

湊と依里の間には、ある日から恋愛感情が芽生えていった。湊にとっては、自分の知らないことを教えてくれる依里、依里にとっては、唯一自分を肯定してくれる湊。二人が共に過ごすシーンからは、ただ一緒にいたいという純粋な気持ちがありありと伝わってくる。

しかし、早織や保利からは無意識なジェンダー観やセクシュアリティの押し付けがある。早織は湊が結婚をして家庭をもつことを望み、保利は幾度となく「男だろ」「男だから」と指導をする。親から求められる普通の将来、先生から求められる男らしさ、テレビの中ではニューハーフの芸人が自分のセクシュアリティを逆手に取り、周りを笑わせている。依里の父親は依里の性的指向を指して、依里は普通じゃない、豚の脳だと言っていることにも湊は気づいてしまう。湊は徐々に自分もおかしい、普通じゃないのではと、自分自身を追い詰めるようになる。

「湊の脳は豚の脳なんだ!」

早織に対してぶつけたこのセリフは、いかに湊が追い詰められていたかを表すセリフだろう。二人を縛ろうとする無意識の加害性が、結末へとつながっていく。

結末はどうなる?

3つの視点で描かれてきた物語は、嵐の朝に湊と依里が姿を消すシーンに繋がる。早織と保利は子供たちを探して鉄道跡地に辿り着き、秘密基地である車両を覗くがそこに湊と依里の姿は無かった。

湊の視点では、湊と依里は鉄道跡地のトンネルを抜けて、青空の下、トンネルに続く草むらへと辿り着くシーンで終わる。泥だらけの二人が、青々とした草むらに笑顔で駆け出すカットは、温度や匂いまで感じられるほどリアルで美しい。

二人は、お互いが生まれ変わったのかどうかを話しながら、草むらの中を駆けていく。そこがただの“嵐の去った後の草むら”なのか、“二人だけの世界への旅の始まり”、いわゆる死後の世界を意味するのかは、見る者に委ねられている。

“怪物”の正体

わたしたちは自分の正義を物差しとし、世界を見ている。この作品が描く“怪物”は、3人の視点を通してそれぞれ違うものであった。大人たちは長年信じてきた物に固執することで、気づかないうちに“怪物”を心に住まわせていた。つまり“怪物”の正体は、自分の中にある正義感が生む“偏見”なのだ。

今作は全編を通して、誰が何を考えているのかわからない不穏な空気が付き纏う。ストーリーを追い“怪物探し”をする観客は、簡単には提示されない答えに頭を働かせ、焦れていく。誰かを悪者として見た方が、理解がしやすく楽なのだ。それこそが、現実を生きている私たちも、自分の視点からみた“怪物”を作り上げてしまうという証拠だ。

自分の見た物が全てとは限らない。また、自分の何気ない言動が、いつのまにか人を追い詰めていることもある。この作品は、誰しもが“怪物”になり得ることを示している。

(C)2023「怪物」製作委員会

※2023年6月9日時点での情報です。

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