【ネタバレ】映画『ある男』最後のセリフの意味は?原作との違いは?“X”の人生を時系列順に整理&絵画の意味を徹底考察

魚介類は苦手だけど名前は

スルメ

映画『ある男』最後のセリフの意味は?原作との違いは?“X”の人生を時系列順に整理&絵画の意味を徹底考察!

人生で一度だけ、名前を偽ったことがある。

数年前、筆者は東南アジアを旅していて、相部屋になった外国人の若者に「鈴木」と名乗った。そして、東京で学校の先生をしていると、未熟な英語で力説した。もちろん、どちらも嘘である。

実際は「鈴木」ではないし、学校の先生でもない。しかし、創作した他人の人生を騙っているとき、筆者はとても心地よかった。

ある男』は、他人の人生を生きている男を描いた作品だ。筆者のような浅はかな嘘ではなく、他人の名前を名乗らなければ生きていけない男たちが登場する。

本記事では、作品のキーパーソンである“X”の人生を時系列順に再構築し、タイトルの意味や登場した絵画について深掘りしていきたい。

映画『ある男』(2022)あらすじ

夫と別れ、故郷の宮崎に帰ってきた里枝(安藤サクラ)は、口数の少ない若者・谷口大祐(窪田正孝)と再婚する。心に深い傷を負ったふたりは、ささやかな幸せに満足していたが、ある日、大祐が事故で亡くなってしまう。

それから1年後。大祐の兄・恭一(眞島秀和)が、一周忌に姿をあらわす。しかし、仏壇に飾られた大祐の写真を見て、驚愕の事実が判明する。理枝の夫だった男は、“谷口大祐”ではなかった。本名も経歴もわからない、謎の男“X”だったのだ。

理枝は“X”の正体を探るべく、前夫との離婚裁判を担当した弁護士・城戸(妻夫木聡)と連絡を取る。城戸は“X”のゆくえを追っていくうちに、日本に蔓延る数々の社会問題と対峙していく。

※以下、『ある男』原作と映画のネタバレを含みます。

戸籍交換の時系列

結論から書くと、本作は“戸籍交換”を描いた映画である。

正体不明の存在だった“X”は、その人生で計4つの名前を持っていた。戸籍交換を繰り返し、他人に成り代わって生きてきたのだ。その裏では、加害者家族の問題や世間からの誹謗中傷など、さまざまな問題が起きていたが、まずは“X”の人生を振り返っていこう。

小林誠から原誠へ

小林誠として生を受けた“X”は、父親が起こした犯罪をきっかけに、母の旧姓である「原」を名乗り始める。父と同じ「小林」姓を捨てることで、世間の目を避けようとしたのだ。

しかし、世の中は非情なもので、姓を変えても「死刑囚の息子」という烙印が消えることはない。誠自身も、自分の顔つきが父に似ていくことが耐えられなかった。その結果、誠は自身の名前ごと、過去を捨てようとする。

原誠から曾根崎義彦へ

ボクシングジムを辞めた誠は、戸籍ブローカーの小見浦憲男と知り合い、曾根崎義彦と戸籍を交換する。「死刑囚の息子」である過去を捨て、曾根崎義彦として、新しい人生を生き始めたのだ。

映画では曾根崎について深く語られていない。しかし、原作では彼が「ヤクザの息子」であり、倫理観が欠如している男として描かれている。事情を抱えている人間でも、「死刑囚の息子」という過去を欲しがる人はいなかったのだ。誠は仕方なく曾根崎と名乗り始めたため、2度目の戸籍交換へと繋がっていく。

一方、“原誠”になった曾根崎は、さらに戸籍交換を重ねていた。原作では最終的に“原誠”を名乗り、刑務所に服役していた、ホームレスの男が登場する。

曾根崎義彦から谷口大祐へ

2度目の戸籍交換を決意した誠は、家族から逃げていた男と戸籍を交換し、“谷口大祐”に成り代わる。原作では、ふたりは互いの過去を語り合い、納得した上で戸籍を交換していた。

“谷口”になった誠は、宮崎で文房具店を営んでいる里枝と知り合うが、事故により死亡。その後は弁護士の城戸によって“X”と仮の名が決められ、過去が暴かれていく。

調査の結果、“谷口大祐”と“X”が別人であることが科学的に認められたため、戸籍上の“谷口大祐”は、名乗る人がいないにも関わらず生きていることになる。小見浦憲男が刑務所で語っていた、“300年生きている男”とは、谷口大祐と同じように、「生きていることになっている人物」を指すのだろう。

原作との違い

谷口家の描写

「そもそも谷口大祐は、なぜ戸籍を交換したのか?」

映画を観て、そんな疑問が湧いた方も多かったのではないだろうか。それもそのはず、原作では丁寧に描かれている谷口家の描写が、映画版ではほとんどカットされている。

谷口大祐は老舗旅館の次男として生まれ、幼いころから兄である恭一と比較されてきた。最終的には恭一が旅館を継ぐことになったが、さらなる困難が大祐を襲う。大祐は病気の父のため、危険が伴う臓器移植を受け入れてしまうのだ。家族は言葉に出して移植を強制していないが、移植せざるを得ない“雰囲気”を出されてしまう。この出来事をきっかけに、大祐は家に見切りをつけ、戸籍交換に挑んだ。

大祐の過去が明確に描かれていれば、ラストの印象も大きく変わったことだろう。

東日本大震災の描写

原作には、東日本大震災の影響を受け、城戸の思想が変化していく様子が描かれている。城戸は横浜に住居を構えており、地震や津波を恐れていた。しかし、ほかの人々と同じように、「予測できない震災」に対して大胆な対策はできないでいる。

また、関東大震災の時に起きた朝鮮人虐殺事件も、城戸の精神に大きな影響を及ぼしていく。原作では在日韓国人の問題がより深く描かれており、“変えられないルーツ”を持つ3人(城戸・谷口・原)の共通点が明確に描かれている。

谷口大祐と城戸の出会い

映画の終盤で、喫茶店に呼び出した谷口大祐本人と、かつての恋人である美涼が再会した。城戸は谷口と顔を合わせなかったが、原作ではふたりの出会いがしっかり描かれている。

また、映画ではほぼセリフなし(仲野太賀を起用しておきながら!)だった谷口は、読者の期待を裏切る人物に変貌していた。彼は「ヤクザの息子」である曾根崎の名前と過去を利用し、周囲を脅していたのだ。戸籍を交換したとたん、谷口が嫌悪していた兄・恭一と同じような振る舞いをしてしまう、皮肉たっぷりな結末になっている。

『ある男』に登場する絵画

本作は絵画で始まり、絵画で終わる。

映画冒頭とラストに登場した奇妙な絵画は、ルネ・マグリットの作品「複製禁止」だ。戸籍交換により、他人の人生そのものを“複製”していくストーリーを描いた本作にぴったりな作品といえるだろう。

原作にも「複製禁止」は登場しており、“城戸さん”なる人物を紹介する序文で言及されている。“城戸さん”は作者の平野啓一郎が出会った「嘘の経歴を語る人物」で、その名のとおり城戸のモデルになった。

この物語の主人公は、間違いなく城戸である。観客である我々は、顔の見えない“X”を追っている城戸の背中に感情移入していく。しかし、当の城戸は、“X”の過去に触れていくにつれて、自分自身を見失ってしまう。鏡をのぞいても自分の姿が映っていない「複製禁止」の違和感を、物語の中で再現しているのだ。

また、本作では要所要所で、「反射した自分の顔を見つめる」シーンがある。原誠は窓ガラスに反射した自分の顔を、城戸はテレビや面会室を仕切るガラス板に反射した顔を見つめていた。これらは「複製禁止」を意識した演出であり、ラストシーンに繋がる伏線にもなっている。

他人の名前を名乗るということ

映画のラスト、城戸はバーで出会った男に対し、谷口の経歴を語っていた。そして、名前を名乗ろうとした瞬間、スクリーンは暗転する。果たして、城戸は本名を名乗ったのか、それとも別の名を名乗ってしまうのか。その解釈は観客に委ねられた。

城戸のモデルになった“城戸さん”は、原作の序文でこう語っている。

「他人の傷を生きることで、自分自身を保っているんです。」

(出典:小説「ある男」より一部抜粋)

映画版の城戸は、まさに自分自身を保とうとしている最中だったのではないだろうか。妻の浮気が発覚した中で、城戸にできることは、“他人の傷を生きること”しかなかった。彼は谷口の傷を自分のものにすることで、少しでも問題から目を逸らそうとしたのかもしれない。

また、筆者は冒頭に書いた実体験から、別の人生を騙ることの楽しさを知っている。褒められたものではないが、城戸は谷口の経験を自分のものにすることで、ある種の快感を得ていたことは間違いないだろう。

映画のラストシーンでは、「複製禁止」と同化したような城戸の背中が映された。劇中で何度も自分自身を見つめてきた城戸は、最後の最後で一線を超えてしまう。すでに彼は城戸であって、城戸ではない“X”に変わってしまったことを暗示している。

『ある男』とはなにか?

最後にタイトルの意味を改めて考察していきたい。

振り返ると、本作はレッテルや社会的スティグマ(差別の対象になる属性)を描いた物語だった。

主人公の城戸は在日韓国人であり、それだけで世間からレッテルを張られてしまう。弁護士という特殊な職業も、レッテルのひとつだといえるだろう。そんな彼も小見浦を“犯罪者”という枠に振り分け、話をまともに聞こうとしなかった。そのほかにも、原誠は死刑囚の息子というスティグマに苦しんでおり、本物の谷口大祐は旅館の息子であることを苦に感じている。

人間は、ひとつの印象だけで判断できるほど、単純ではない。「弁護士」であっても、「犯罪者」であっても、さまざまな人間が存在しているはずである。本来は、先入観を持たず、目の前にいる人物をひとりの人間として判断すべきなのだ。

このように、本作は弁護士や、死刑囚の息子や、犯罪者を描いた作品ではない。本作は、非常に不鮮明で、掴みどころのない、そしてどこにでもいる「ある男」の物語である。

『ある男』作品情報

監督:石川慶
脚本:向井康介
原作:平野啓一郎『ある男』
公開日:11月18日(金)全国ロードショー
配給:松竹
公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/a-man/

(C)2022『ある男』製作委員会

※11月25日(金)時点での情報です。

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